江戸時代の終わり頃、1954年(安政元年)12月23日の朝。
グラッ グラ グラ グラッ! 「 地 震 だ !」
村人たちは、村長の指示のもと、神社に避難した。・・・しかし、夜になっても、津波は来なかった。
「これで、ひと安心じゃ...」朝になり、村人たちは、ホッとして、家に帰った。地震の後片付けをしていた、その日の夕方......。
『稲村の火』の物語りは、文部省小学校教科書の教材になった有名な話です。
原案である小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の「A living God(生神)」は、八雲の巧みな脚色により、「つなみ Tsunami」という言葉と『稲村の火』を世界に広めました。
この紙芝居は、史実を重んじました。そうした方が、濱口儀兵衛(濱口梧陵)の人となりがよく伝わるからです。
小泉 八雲 こいずみ やくも / ラフカディオ・ハーン(1850 ~ 1904年)
中学校の英語教科書に小泉八雲の怪談『ムジナ』がありましたが、それほどまでに日本で親しまれた作家です。
ギリシャで生まれ、アメリカに渡って新聞記者として名をあげ、その後、島根県松江市に移り住みました。
そこで、日本人女性小泉セツと結婚し、日本に帰化します。代表的な作品に『怪談』『知られぬ日本の面影』があり、中でも『耳なし芳一の話』『雪おんな』はあまりにも有名です。